朝から昼過ぎにかけて暴風雨に見舞われた今日の標津。
あいにくの天候の中、ご来館いただいた皆様、
ありがとうございました <m(__)m>
少々昨日の話題を引きずりたいと思います。
昨日(11月9日)未明に雪が降り、
標津町内でも、朝にはうっすらと積雪が見られました。
遠くに見える斜里岳も雪化粧・・・。
奥の白い山が斜里岳
さて、昨日話題になった「ほふる」という言葉・・・。
事の発端は、レクチャーの際に「ほふる」という単語を使うと、
「?」という表情をする人が多く、
「今では一般的ではない言葉なのか?」と学芸員が感じたことにあります。
ほふる:屠る
以下、長文になりますが、お付き合い下さい・・・。
↓↓↓
一般的に辞書などでは、
1 からだを切りさく。また、きり殺す。「獲物を―・る」
2 敵を破る。打ち負かす。「対戦相手を軽く―・る」
というような解説になっているようですが、
「屠殺(とさつ)」という言葉に使われているように、
「(食料や皮革などに利用するために)生き物の命を奪う」ような意味合いもあるでしょう。
牛や豚などの獣類では、「屠る」
鶏や魚などの場合には、「〆る(しめる)」と
何となく使い分けられているように感じます。
現在に日々の暮らしの中で、「屠る」ことはほぼないでしょうし、
「〆る」ことも少ない方が多いのではないでしょうか。
(一部の例外はありますが、)地球上の動物は、
植物や他の動物などを食べ、生きる糧としています。
そして自らも、他の動物に食べられるか、
天寿を全うした後に、その屍をまた食べられ、
その排泄物も、屍も、菌類などに分解され、
また植物が利用できる状態へと戻ります。
生命を自らの生きる糧とし、自らも他者の生命の糧となる、
それが動物の生き様だといえるでしょうか。
そして、それは私たちも同じこと。
野菜であれ、魚であれ、肉であれ、
もともと生命だったものを食べることによって、
私たちは日々生きていくことができます。
スーパーなどに並び、私たちが手にする段階には、
すでに「食品」として形が変わっているものが多い訳ですが、
その素は「生命」であり、
そこに至る過程のどこかで「屠る」・「〆る」ことが行われています。
その現場が身近にない以上、
「屠る」という言葉が、耳慣れない言葉となってしまっているのは、
仕方のないことなのかもしれません。
人工授精体験では、以前紹介した「サケ撲殺棒」を使う場面があります。
サケ撲殺棒
なんてことない「ボッコ(北海道弁で棒)」ですが、
深~い意味のあるものでして・・・(上記リンク参照)
それなりにショッキングな作業であるため、
ほとんどの場合、事前に職員が行うことが多いのですが、
私たちが「一動物」として、生きていくということを、
感じるためには必要なことなのかもしれません。
改めて1本のシロザケを目の当たりにするだけでも、
けっこうインパクトはありますが・・・。
(T.N.)
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